ワーホリ1年の経験は、20代の人生の節目になった話
今回は、ノマドちゃん27歳のワーホリ経験は人生の節目になったよ、という話をするね。別に、成功談とかではないよ。
マイルストーンの本質を理解してない人は、この記事のポイントが掴めない可能性も。内容がしっくりこない場合は、以下も読んでみてね
人生の基礎マイルストーンとは?
ワーキングホリデーは人生の節目になる
経験則だけではなく、社会・政治・心理学的な知識も入れたよ。写真は、ドイツワーホリの登山の様子です。
ワーホリ1年の経験は、20代の人生の節目になった話
前回話した、人生のマイルストーンを満たす条件はこちら。
- 達成率が高いもの
- リスクとチャレンジがあるもの
- 自分自身が成長できるもの
- 外側からの期待があるもの
- リワード・ご褒美があるもの
- 次のステップ(節目)に繋がるもの
- 1年や数年単の期限があるもの
ワーホリの節目は具体的にどんな感じなのか、以下ノマドちゃんの洞察です。
1.ワーホリには、達成感も卒業証書もいらない
正直なところ、ワーホリ1年が終わった時に、達成した〜とは思わなかったのね。達成感ではなく、疲労感を感じた。
そもそも達成って何なの?という話。達成には必ず達成感がいるのか?
ワーホリに、達成感は必要ない。
なぜなら節目は迎えた時点で達成だから。成績や出席率が悪くても、小学校を卒業できるよね。卒業証書をもらったから達成したと感じる。これを強制的達成感という。これ今名付けた。英語だと、coercive accomplishment?
ワーホリ1年は、卒業証書がないから達成感がないだけで達成ではある。
ワーホリ後は疲労感はあったものの、燃え尽き症候群ではなかったので、人生を前に進める気力は強かったのさ。
ノマドちゃんは、ワーホリ後に達成感がなかっただけで、ちゃんと節目は達成していた。理由は、ワーホリ1年をしたことで、着実に、次の節目へと進むことができたから。
達成した節目は次の節目に繋がる。達成感も卒業証書も必要ない。むしろ達成感だけで、次に進めないと意味がない。もうガキじゃないんだし、強制的達成感いらないよね?
節目の達成に、達成感は必要ない。ただし成長はマストとなる。
2.ワーホリ経験のご褒美は、成功ではなく成長です
ワーホリが人生の節目になる理由は、そこに成長があるから。
ノマドちゃんは、オーストラリアから帰国した後に、いや〜なんか失敗だらけだったな〜と心折れたのね。
セカンドビザの取得を目指し、88日の肉体労働を制覇。ところが、この国は労働搾取が半端ないし、英語もろくにできやしないし、外国人として生きるの大変だし、なんかもうやだぁぁぁぁぁ〜とセカンドを放棄。(笑)
そして今思うこと。あの失敗は、成長以外の何者でもない。
ワーホリの成功は成長のかなり先にある
ワーホリの失敗が成功へと変化していくのは、おそらく早くても5年後〜10年後。
物事を正しく理解できる大人になった時点で、過去の失敗は成長だったのだと、初めて認識できる。だだから失敗した後に前に進み続けることが大切なのね。
ノマドちゃんは、オーストラリアのワーホリから6年以上が経ち、アレは確実に成長だったのだと認識できる。理由は、ワーホリの節目がどんどん次の節目に繋がり、現在も繋がり続けているから。
節目達成には、必ずご褒美がある。それが成長なのか、地位なのか、収入なのか。ご褒美の種類は、年齢や個人の状況により変化するよ。
ステップが次のステップに繋がり段階的に成長し続けることが大切なのさ。
3.ワーホリ=チャレンジ=成長する=前進できる
ワーホリ生活は、日々生きることがチャレンジだった。
オーストラリアでは、外国人労働者として、最低賃金以下で搾取されたのね。そこで、搾取されないために、自分はどう行動すべきなのかを考える必要があった。正しく情報を得る・社会システムを理解する・雇用主の意図や行動パターン分析・少ない資金で最適化する知恵、などを育てる必要があった。
アジア人女性という人種や見た目で、性的な対象とみられたり、従順または軽いなどのステレオタイプや偏見に困った事は何度もあった。男性優位・人種差別など、不公平な社会で自分の身を守る術を身につける必要があった。
ファーム生活は、最大のチャレンジだった。最も恐ろしいものは人であり、最も尊いものも人なのだと学んだ。
27歳ノマドちゃんのワーホリのチャレンジは腐った権力や不平等な社会で生き抜くことだった。
その後も、残酷な世界で、前進し続けることができたのは、ワーホリ経験のチャレンジに教訓があったから。
チャレンジのないワーホリは、人生の節目にはならない。
4.ワーホリの節目に誰も期待してない?そんなことないよ
人生の節目は、一人で達成するものじゃない。家族や友人、学校の先生、同僚など、多くの人に支えられて達成できる。
ノマドちゃんは、社会の底辺の方にいたので、ワーホリすることに過度な期待やプレッシャーはなかったのね。そういう意味では楽だったよ。その半面、金銭面・精神的なサポートが少ない状態でのワーホリは、けっこうハードモードだったけどね。
でも、旅先で多くの人に支えられ、ワーホリって自分一人ごとではないのだと学んだ。誰かが応援してくれる。これは、健康的な意味でのプレッシャーとなる。
一人で達成できる節目など存在しない。
外的な期待の善と悪
良い期待とは、応援とサポート。
悪い期待は、本人の能力を遥かに越えた圧力、そして期待する側の利益のためにある。
社会でかかる様々な期待。それはいったい誰が何の目的でかけているのかを理解しなくてはいけない。
資本家や権力者は、自分の利益のために個人にプレッシャーをかける。社会的な期待の多くは、企業やが利益を上げ続けるためにある。でも君の給料は上がらない。これが90年代以降の日本。GDPは安定しているのに、人々の暮らしが貧しくなる理由は、搾取社会にある。
中間管理職の「〇〇君、君に期待しているよ。」の意図は、部下のがんばりが自分の利益になるから。
CEOの「社員のみなさんに期待しています。」の本音は、少ない給料でがんばってくれると、自分のポケットマネーが増える。
親の期待では、親の見栄えや世間体、老後の世話をしもらうためなど、期待する側の利益のためにあるものは、健康的な期待だとは言えない。
ワーホリの悪い期待は、「日本人はよく働くから助かる。」「移民が季節労働を補ってくれて助かる。」この期待の裏には、外国人は安い賃金で搾取できるという意図がある場合が多い。気をつけてね。
5.ワーキングホリデーのリスクは物?お金?地位?
ワーホリは人生の節目になる。リスクのない節目など存在しない。つまりワーホリという節目には必ずリスクがある。
ノマドちゃんは、低所得のフリーターだったので、社会的地位を失うとか、キャリアを失うとか、そんなリスクはなかったのね。ただ、所有物をすべて処分するリスクはあったのさ。その理由は、自分の荷物を全て預かってもらえるほど、裕福な家庭の出身ではないから。
物を所有するってスペースがいる。つまり物の所有にはお金がかかる。実家が持ち家で、子供の部屋はそのままの状態で保存してます。みたいなパターンは、すごく恵まれていること。
親が貧困層または低所得層の場合、ワーホリ帰国後にすぐ住める場所がない場合もある。帰国後の実家でホッと一息できない人は、資金面や精神面で、帰国後の計画も立てる必要もあり、ワーホリの後も大きなリスクが伴う。
一般的な家庭の人は、現職やキャリアの中断がリスクになると思う。ただし、人生すべてを手に入れることはできないのね。
一つ得ると一つ失う。これは人生の基本だよね。全てを手に入れるという概念は間違っている。人生の取捨選択、それが節目だよ。ワーホリを節目にしたい人は、必ずリスクが伴うと認識してね。
あと資金。ワーホリは労働ビザである、つまり現地で収入を得られるので、金銭面でのリスクは少ない。日本人は余計なことにお金を使う人が多いので、必要な部分にだけ使えば大丈夫だよ。
5.ワーホリはピッタリ1年だから価値がある
フリーターという、とりとめのない時間軸を生きていたノマドちゃんは、節目が欠落し、もう正月もクリスマスも自分の誕生日でさえも、どんよ〜りしていた。
節目を失った人生は、新鮮さを失う。歳を取るほど時間が早く感じるのは、新鮮さを失ったから。
ワーホリはピッタリ1年。季節もイベントも友人とのかけがえのない時間も、たったの一度しかない。
“My birthday is coming soon.” とこぼした日には、”Oh, Happy Birthday!! we should do something!! It’s a special!!” と、たった一度しかない28歳の誕生日が、まるで新世紀の幕開けかってくらい、キラキラと輝いた。
毎日がニューボーンベイビーみたいな。目にするもの何もかも新鮮だった。たった1年の経験なのに、数年の時が経過したように感じた。これマジで。
今日は何しよう、明日は何しよう、明後日は何しよう。たった一度しかない、この年はたったの一度しかないのだぁー!!!
ワーホリが3年ならこうはいかない。あと2回あると思うからね。ワーホリ1年の節目は、タイムワープを経験できる。1年だから価値があるのさ。
今回はここまで。ワーホリを節目としてもいいし、バチェラーパティ―として使いきるのもあり。人それぞれだよね。意見や感想をコメントしてね~。