ワーキングホリデー/誰と同じ屋根で暮らす?海外シェアハウスの経験
ワーホリ生活で、どんな環境でどんな人たちと暮らすのか。そんな些細な経験から見えるものがたくさんある。いや、ありすぎた。てか見えすぎた…。
今回は、誰と暮らす?にフォーカスして話すね。
ワーキングホリデー/誰と同じ屋根で暮らす?海外シェアハウスの経験
シェアハウスは、どんな生き物と暮らすかで見える世界がかわる。
ノマドちゃん、シェアハウスの多様な暮らしと経験はこちら。
- 学生と暮らす
- ワーホリと暮らす
- 地元の人と暮らす
- ファミリーと暮らす
- 犬と暮らす
- 恋人と暮らす
- レイシスト、セクシストと暮らす
学生と暮らす
初の海外生活、初の学生アパート。いや〜20代後半のフリーターが、今さら学生と暮らすってどないやねん…。うん、楽しくないわけがない!
緑豊か、静かで落ち着いた郊外のアパート。やはり集中して勉強するには良い環境が整っていた。朝はトラムで学校へ。いわいる「Streetcar suburb」だね。
学生が暮らす場所は、健全で真面目な雰囲気かも。なんかこう、まだ母親に手を握られている感じ。安心感。その理由は、散漫になる中心地からは離れていているが、交通の便が良い立地条件にある。海外スタートには最適な環境。まぁ、学費のためのバイトに追われていなければ、の話だけどね~。
言い換えると、世間知らずでナイーブな人達が集団で暮らす場所ともいえる。
学生は、(親が)大金を払ってまで学校へ通う人たち。ワーホリや旅人よりも、安定した暮らしをしてるだろう。90年代以降の経済状況では、地に足をつけて生活してる学生が大半だと思うよ。バブル期に学生だったブーマー世代は、楽〜にお金を稼いで、 “いろんな経験をした” だろうけどね。
ただほんの一部では、ハメをはずすために ”海外留学” をしている類も。派手な暮らしをするナルシストとな学生と生活すると、自分の調子が崩れてしまう可能性も。そこちょっと注意。
あと特に女性は、セクシストとインセルに気をつけよう。確率は少ないが、若い世代や ”留学生” にもレイシストはいるので、肩書で盲目的に人を信用しないように。
学生アパートは、いくつになっても楽しい。
ワーホリと暮らす
ワーホリやバックパッカーは、若い人が多いんだけど、独特の生き急いでる感があり、なんかそれがおもしろい。「もっといろいろ見て、出会って、経験して!」とにかくいろんなことをしてみたぁーい。こういう躍動感があり、すごくうっとぉしい(笑)。
一方、自分を見失い暴走してる人も。若い。
同じ国籍だけ、アジア人だけ、女性だけ、男性だけ、同じ民族や大陸だけ。少しパズルの組み合わせが違うだけで、雰囲気はぜんぜん変わってしまう。
同じ国籍や地域のみの場合、かなり同調しあうことも。そこにフィットすれば快適だけど、自分だけネジがずれると、カルト的な同調集団は脅威へと変化する。人の顔は、属する集団で多様に変化するよ。
オーストラリアのフラットシェア。男女半々、出身大陸や人種も見事にバラバラのシェアハウスで生活したが、あれは同調性ゼロだった。自分はこういうキャラ設定でいかねばマズイ、みたいな心配もなし。
リーダー的な存在が誰かも判断できず、誰かの顔色を気にする必要もない。それぞれの生活スタイルがあり、この人を模範にしようという基準もみつけにくい。ある意味でバランスがとれていて、多様でありカオス。自分探し中の若者は、混乱してしまうかも。同調しないパターンの自分も人も観察できるので、そこはすごく面白いです。
日本のように極度の同調社会も、アメリカのように自由を主張しすぎる社会も、毒なんだよね。何事もバランスが重要だよ。
地元の人と暮らす
ホームステイをしなくても、地元の人と暮らす体験ができる。外国人があまり近寄らない土地ミュンヘンでの生活では、その立場を、良い意味でも悪い意味でも、深く体験することができた。
定年後のおじいさんと
ヒッピー女性、犬2匹と
同じ世代のドイツ人たちと
ドイツ人の恋人と
ドイツ人は英語が話せる。ドイツ語ができないこちらの状況に合わせくれ、ほんと助かった〜。
地元の人との生活は、深呼吸から始まる。自分の呼吸をリセットし、彼らの息の歩調に合わせ生活をする。たとえ言語や文化は違っても、同じ空気は共有できる。観光客は知らないこと。
年齢が異なる人たちと生活できたのは、本当に貴重な経験だった。ワーホリやバックパッカーと暮らすと、若い人や冒険好きなタイプが多い。必然的に定住を好むタイプの人とは出会えなくなる。
全く海外に興味ありませんと言う人との生活。それでもなぜか外国人と暮らしている。価値観が違いすぎる人と共に生活するのは、時に難しいこと。多くの人はそれを避けようとする。ワーホリで海外を経験し、違うものは見みてみたい。でも実際に違うものは受け入れられない。そうじゃない?
自分とはまったく違うタイプの人も理解し受け入れる。これが日本人の自分にとってどれだけ重要なことなのか、当時の自分は理解していなかった。やはり身をもって経験しなくては、見えないものがある。
ちなみに、ミュンヘンワーホリはおすすめしません。コロナの前でも不動産物価がヤバかったので、今はほぼ不可能じゃないかな…。とりあえず、住居がみつかる地域でワーホリしてくださ〜い。路上はダメです、ほんと。
ファミリーと暮らす
ファミリーの家に長期滞在したことはないが、短期で生活したことがある。
ファーム生活では、地元のファミリーにお世話になったり。ドイツでは、地元ファミリーと1週間ほど生活をしたことも。カナダでは、移民ファミリーのパーティに参加。
ファミリーの家におじゃまになる。プロテクションモード!特に白人や移民世帯でない家族。こっちは完全に謎の外国人でしかない。日本で生活する外国人は、この100倍怖いのだろう。
カタコト英語やアジアという民族を受け入れてくれるのか。無視されたらどうしようとか。※無視も人種差別のひとつです。
だから心から受け入れてもらった時の安心感、半端ない。現代社会も Tribalism は根強い。
移民ファミリーはまた違う経験に。相手も英語アクセントがあるし、マイノリティや移民という立場には共通点も多い。肌の色が白ではない。その意味は日本だけでなく西洋でも多きなこと。※白人の移民もたくさんいます。
世界の食卓では、日本のように大皿をみんなでつっつく文化も多い。大人も子供も混ざって食事する。
西洋の文化では、それぞれが自分のお皿を食べる家も多い。子供と大人は別のテーブルに座って食べることも。自立やプライベートを重視する西洋文化は、多くの民族にとって異質なもの。日本人、なぜそこまで西洋人になりたい!?
犬と暮らす
しっぽをフリフリ駈け寄ってきて、目の前で仰向けに。いや〜マジどおしたらいいんすか、この犬。初対面ですけど…。ネコ派は、意味不明な犬の行動にオロオロ。
キャンキャンとアプローチしてくる相手に後ずさり。ワーホリ中は何度、犬の面倒をみたことか。いや、面倒をみてもらったのはこっちか。
”Can you walk a dog?”
“Ah…I’m a cat person…”
うん、撫で方から教わったからね~。目の合わせ方、リードの持ち方、歩くスピード、止まれのやり方。ワーホリって、犬ともコミュニケーションとれなきゃダメなんだ…。特にドイツで思った。ミュンヘンでは、電車で犬と相席することがよくあった。
ファームの部屋でネコとのひと時を過ごしてると、あの犬がひょこっと入ってきて、自分もいれてって顔するわけ。しゃーねーなぁ〜って入れてあげると、ネコがあの目で見てくるんだよ…。
ワーホリ生活では、多様な生き物との暮らしも学ぼう。虎とかヘビとか、そういうのはちょっと…。珍しいペットの多くは密漁です。飼い主は無知なだけ。
恋人と暮らす
ロマンチックな話をします(笑)。
ワーホリで恋人と生活する利点は多い。
ワーホリとは、低所得な暮らしをする外国人。外国人同士でカップルになり一緒に生活をすると、そりゃもうメリットが大きい。
部屋代や食費が安くなったり。揃える備品は二人で一つ。常に50%OFF!共通の敵は、厳しい経済と異国社会。ともに肩寄せ合うことで絆が芽生え、互いの大変な状況も理解できる。ソシオパスとか Entitled は例外だよ。
労働搾取と疲労。身体ともに現実世界を体感できる。それがプランテーションでの生活だった。
そこで見えたものは、真実の愛。
なんの変哲もないトマトパスタと、なんの変哲もないサラダ。オキシトシンがあふれ出る瞬間だった。
オレンジをむしりすぎて、タコだらけになった手で作ってくれた夕食。その瞬間の感動は、今でも忘れられない。愛情って、星付きレストランでも、小さい箱のプレゼントでも、コンバーチブルでもないんだ。毎日欠かさずメッセージすることでも、嫉妬することでも、ドラマチックな演出でもない。
相手が自分のために精一杯してくれたこと。それ以上に心満たされるもの、ある? あー温泉ね。
ワーホリ中は、狭いシェアルームで暮らすカップルにたくさん出会った。プライベートな空間なんてない。何をやるにも二人で一つ。互いに支えあっていれば、多くのの苦労は乗り越えられる。その絶妙なバランスが崩れると、愛は枯れてしまう。
レイシスト、セクシストと暮らす
理由はわからないが不快感を感じる。そんな時は、差別的な扱いをうけているのかも。不快感とは、ぬくもりの正反対にあるもの。
相手を尊敬しない人と暮らすことほど、悲しいものはない。
ダブルスタンダード。手柄を横取りする。理不尽な態度。マニピュレーション。相手の話を無視する。存在を無視する。不公平なルール。不適切な目線。
レイシズムやセクシズムは、相手を尊敬しない行為そのもの。直背的でない精神的な圧力は、具体的に言葉にすることが難しい。ただし自分の感覚は、それを敏感に察知する。
ファームでの彼女との生活は理不尽が多かった。多くのルールは彼女のために存在した。イギリス人の彼女は、弱い立場の私を助けるのではなく欺いた。
友達だと思ったのに、同じワーホリだと思ったのに。人種間の力の差は大きすぎた。
ワーホリ中はセクシストと生活と生活することも。自分は女だと感じる瞬間が多い社会。それはセクシストが多いという証明なのさろう。もちろん、男性に対するセクシストも存在する。
弱い立場の人間につけこむ人間と生活をする。その経験は、自分の甘さと知識の欠落への警告となった。そして自分自身、人への態度を見直すための教えとなった。
人との暮らしは、相性が合う合わない、そんなにシンプルなもじゃない。ワーホリ1年、君は誰と暮らしてみる?記事はここまで。またねっ。