ブログは書けるときに書いた方が良い【生きてても書けない状況とは】
こんにちは。 のまどちゃんです。
ブログ更新2度目の離脱に至った。
生きてるにもかかわらず、ブログが書けない状況に陥る。
ブログは書けるときに書いた方が良い【生きてても書けない状況とは】
PCの前に座って、キーボートをまともに打つこともできない状態になるとは思ってもいなかった。
ネタがなくてブログが書けないとか
アクセス数が伸びなくて心が折れたとか
収入が不安定で精神が保てなくなったとか
世の中にはブログが書けなくなる、または何かを続けることが困難になる、様々なシチュエーションがあると思う。そして今回は「息するので精一杯」というシチュエーションについて。ちなみにコロナにかかったわけではない。
24/7で身体が辛いとこの世に生きている意味を感じなくなってくる
人の身体は24時間、週7で稼働している。この24/7が次の状態になると、ブログどうこうではなく、生きてる意味を感じなくなってくる。
起き上がるのが辛い
食べることが辛い
息してるのも辛い
眠るのすら辛い
映画鑑賞も辛い
生きていることがただ辛い
熱がないにも関わらず悪寒でぶるぶる震えたり、過呼吸のように息苦しくなったり、意識がもうろうとして身体がまともに機能しなくなる。これが数日なら問題ないが、コンスタントに続くと思考はこうなってくる。
「生きた心地がしない。自殺しようとは思わんけど、これやったら生きてても死んでても同じやないか。」
いったい自分の身体はどうなってしまったのか
コロナっぽい症状に聞こえるけど、そうではなく重度の皮膚炎にかかってしまった。コロナの状況下、できれば病院へ行きたくなく早めに対処しなかったせいで、なんてことのない皮膚の炎症が広まり重症化してしまった。
今では当たり前の抗生物質に救われる、19世紀であればあのまま死んでたよね
あまりの症状の辛さに、内臓に疾患があるのではと疑った私はトロントのクリニックへ。ドクターによると炎症が悪化すると様々な症状を引き起こすとのこと。19世紀であれば、私はあのまま死んでたよね。
抗生物質(Antibiotics)ってなに?
細菌(bacteria)による感染症を防ぐもので、炎症を抑えることができる。ウィキによるとその起源は1929年。ということは、100年前はただのバクテリアによっていとも簡単に人は命を失っていた。現在は処方箋があれば簡単に手に入れることができる。
生きたここちがしなければブログは書けない、というか何もできない、というか死んでるのと同じ
「時間があったりやる気があったりすればブログが書ける。」
以前の思考はそうだった。
「まともに息が吸えるからブログが書ける。」
最近はそう思う。
「死ぬ前にやりたいことをやろう。」
これも話にならない。
「できるうちにやりたいことをやろう。ブログは書ける時に書こう。」
生きててもできない時はほんとに何もできないからね。
健康であるということが『運』だということに、健康な人は気づいていないよね。気づいているならその運をもっと大事に使うでしょ?
コントロール不能、身体の変化は突然やってくると覚悟せよ
実はこのたった1年で、盲腸にもかかり、新たなアレルギーまでも発祥した。
いくら若くても、身体の変化は突然やってくる!という結論でまとめる。
ずるずる身体を壊し、30代前半の半年以上の時間を失ったけど、あの苦しみから解放された私は本当に運がよかったといえる。もしコロナにかかっていたら、もう残りの人生はなかったかもしれない。
2度目の失敗なんてどうってことない。こうしてまともに息が吸えるんだから、もう少しがんばってみる手はないよね。